緊張という「ツール」

あくまでも自分の感覚によるもので
科学的、医学的根拠は全くないので
私自身の記録としてここに書く


最近上半身の力が抜けた
身体を動かすときに
無意識に入る
「緊張スイッチ」


いったんスイッチが入ってしまうと
意図せぬ場所に
力が入ってしまい

 

思いもよらぬ動きをしている
自分がいる

 

それは小さなときからの
「癖」みたいなものでもある
性格からくるものもあるし
大して気にしていなかった
今回身体の緊張が緩むまでは

 


私の身体の緊張は
肩や足の裏、足の指、足首、顎・・

 

ひとつひとつ書き出していたら
きりがないくらいたくさんだった

だから緊張が緩んだとき
いっきに足の裏に自分の重みを感じ
足裏を意識しはじめたこともあり
足の裏が熱くなっている


そして気づいたこと

 

もうひとつ
大切な機能が緊張によって
正常な動きを妨げられていた

 

それは

 


「視覚」


視覚が機能していなかったと言って
目の前が真っ暗になったり
遠くが見えにくくなった
ということではない

 

「見え方」が変わったのだ

 

今まで自分がどうしても嫌だと
思っていた自分の身体の
見え方が変わって

 

本来の「素」の自分の姿が
見えるようになった


鏡を見れば
自分の手足を見れば
「素」の自分の姿なんか
簡単に見えるはず

 

と思うかもしれない

 

だけど私には
見えていなかった

 

自分が見たいようにしか
見えていなかった
というのが本当のところだ

 

もっと足首が柔らかければ
もっと足の指が長くて強ければ

 

もっと・・・

 

もっと!

 


そういう想いが
身体のパーツを緊張させて
本来の自分の身体の状態から
変えて見せていたのでは
と思う

 

緊張というツールを使って

自分が見たい自分を創り出して

その世界に生きていたのだと思う

 

 

というか
としか、思えない

 


緊張が解けて
あらためて見ると

なんとも
小さくて弱っちい
私の手足

 

これを

受け入れるのが
嫌だったんだなあと

しみじみと思う

 


ずっと昔のバレエのクラスで

「あなたは鏡はみてるけど
ちゃんと自分の姿を見ていない」

と言われていたことを思い出す

 

平成の30年

随分遠回りをしたものだ

 

ようやく
自分の「目」をとりもどした
そんな5月5日
令和はじまって初めての子供の日

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