卒業の季節
ようやく真っ直ぐな感覚を掴んで
1本芯が通だと思ったら
軸そのものが斜めだったという
オチに気づいた2月
自分を貫いたら
かなりズレてるという
私の人生そのものだ
今日から3月が始まった
昨日の自分と
見た目はそれほど
変わったていないが
感覚がとても変化している
4月から新しい部署に異動になる
家から遠いので
少なくとも1時間は
早起きしないといけないのが
悩ましい
これから先のことが
より見えなくなった今
何となく卒業の感じがしている
今までの自分への未練もかなり薄れた
変わることへと開いていきたい
真っ直ぐじゃなかった!ことに気がついた日
信じられないことに
一年の1/6が終了
今日は2月28日
去年の2月は29日まであった閏年
オリンピックが延期になって
開催されるかどうか
結論はまだ出ていない
本当に予測不能なこと続きだ
2週間前の発表会が
1年前の出来事のように感じる
2月23日に認定資格の次の項目の
合格をいただいた
ありがたいことに何とか進んでいる
身体の感覚も変わり
それにつれて意識も変わり
私が今まで当たり前と思ってきたことを
あらためて見直す時期が来ている
週末に久しぶりに行ったバレエクラス
ずいぶんやり易くなった
いちばん感覚が変わったのは
ただ一つ
「自然に伸びる方向に身体を使うと
力が要らない」
だった
もっと正確に言うと
「自然に伸びる方向に身体を使うと
無駄な力が要らない」
無駄な力というのは
ざっくり言ってしまうと
肩とか、腕とか
内側の本当に動きに必要な
丹田とか背筋以外の表面的な力
「力んでる」
ときに使う力のことだと痛感した
そして調子良く
真っ直ぐ立つ、真っ直ぐ降りる
プリエする、真っ直ぐ立つ
バランスすると言う感覚で
クラスは進んでいき
トゥシューズの時間になって
以前との違いが
少ないことに気がついた
なんだか
バランスが取りにくいのは
以前と変わらないのだ
バランス取れた!
と思っていても
ふとした瞬間にどーんと落ちる
ポアント(トゥシューズの先)で
立っていたのが
体勢はそのままで
ルルベ(普通の爪先立ち)に
落ちてしまうのだ
やっぱりトゥシューズ苦手だなあ
で、その日のレッスンは終了
あまり頭で考えず
そのまま帰宅
その日お風呂から上がって
クラスの事を思い出した時に
初めて気づいた
ずいぶん身体は変わった
でもなぜ
トゥシューズで立つ状態が
キープ出来ないんだろう?
トゥシューズでなければ
かなり安定しているのに
……
軸は出来てると思う
だけど
トゥシューズで立つほどに
集まりきれてないのでは?
そこではっとした
私は以前から
圧倒的に右足で
バランスが取りにくいことに
ひょっとしたら
軸が真っ直ぐでないのでは…?
バリアージのちえさんの
注意を思い出した
「ジェンガみたいな立ち方してるね
それ、やめなさい」
私はバランスを取るために
その場しのぎで
器用に全身を使って
「軸っぽいもの」を作って立っていたのだ
いや
私は何とかしようと意識しただけで
身体はそれに応えてくれていたのだ
残念ながら
ありたい方向では
なかったけれど
今は身体の使い方が変わって
以前作れていた
「軸っぽいもの」
を作らなくなったので
よりいっそう
バランスが取れなくなっていると思う
(あくまでも推測)
要は真っ直ぐではないのだと思う
身体が自然に伸びる方向に
使えるようになった感覚と
軸は真っ直ぐではないという事実
どちらも私の中では真実で
これから自分で育てていくのだと思う
少し落ち着いて
自分のことが振り返る事が
出来る様になった気がする
今まで閉じていた窓が
確実に少し開きつつある
劇変の身体 ニュートラルな意識
1月中旬からひと月。
もう2月も残り1週間となり
時間の経つ早さに
おののくばかりの今日この頃
先週、バリアージの発表会に初めて参加した
発表会と呼ぶには私にとって
あまりにも高度すぎ、濃厚すぎ
参加すると決めた年末から
2ヶ月半、駆け抜けた感が半端ない
その間
認定資格のトレーニングも並行していて
いっぱいいっぱいに
なっていたと
今更気がつく
本来の自分につながるKayaメソッドと
表現する感性のバリアージは
どちらを突き進めても
同じところに行き着くはずで
息を吸うように
自分の感性と繋がるはずが
そもそも呼吸そのものが浅くなっているという、、、
自分の出発点を
いま一度振り返ることになった
今ここでの感覚
資格認定のトレーニングで
身体は激変した、、、ようだ
ようだ、というのは
「変わったね」と言っていただけているからだ
私自身変わった実感があるが
(柔軟性、安定感)
なによりも自分の意識が
変化した
もともとの
内向的なところや
執念深い根に持つ暗さは変わらないが
あっ、ここが私が執着して
別の可能性に開いていけないんだな
というポイントが
たまに分かるようになった
今まで
ぎゅうっと
閉じて
締めて
固めて
力ずくで守ってきた
何かがぼろっと崩れた
崩れると同時に
包み隠していたものが
少しずつ緩んで広がり
自分で自覚できるようになり
あらためて自分が
どんな意識をもって
今まで生きてきたのか
見せられたようで
赤ちゃんの頃や幼稚園の頃の
アルバムや動画を見せられて
幼かったんだなー
でも頑張っていたんだなー
という微笑ましさに似た気持ちと
認めたくなくて
いたたまれなくてむず痒い気持ちが
入り混じった不思議な感じがしている
私がいつからか不明な
脊椎側弯という
左右対称ではない身体の状態で
長年生きてきて
認定資格のトレーニングで
その状態が変わったことと
この意識の変化は
深く関連していると思う
トレーニングにより
かなりの短期間で背中の左右差が
少なくなった
見た目だけではない
左右差のバランスが変わったことで
背中の機能が変わり
今まで作用していなかった
身体の「センサー」のスイッチが
入った気がするのだ
まだまだその変化を
認識しきれていないし
使いこなせてもいない
ましてやアウトプットまで及んでいない
それは
今までの身体の使い方のクセ
考えグセ
言葉選びのクセ
無意識に習慣化した行動パターンで
無造作に惰性で生きているから
慣れてしまって
目をつぶっていても
出来てしまうこと
それを手放さずに
変わっていけないのだと思う
慣れていること
無意識でできること
唯一変えることができるのは
無意識と意識の境界線にある
呼吸なのだと感じている
#身体の変化と意識の変化 #Kayaメソッド® #呼吸 #無意識を変える #バリアージ
身体が変わって 回路が変わった
2021年1月は
本当に過ぎ去るのが早い
もう4週目に突入
昨年ハマってしまった
呼吸のトレーニングやストレッチで
身体が変わってしまい
それに伴い
意識が変わってしまったように
感じている
今まで「当たり前」だったことが
当たり前でなくなり
今までと違うパターンの
感じ方になったのだ
例えば
今までなら出来なくて
落ち込んでいたことが
落ち込むのではなくて
出来ない自分を
受け入れられるようになったし
出来ない自分をスタート時点にして
自分のペースで進むことを
許せた気がする
今までは
常に誰かになろうとして
その誰かになることに
多大なエネルギーを
費やしていた気がする
そういう状態は間違いなく
自分を客観的に見れていない
そして
その状態で何かを積み上げて
変わろうとしても
自分という土台に積み上げないから
全く積み上がらない
やったことへの手応えが
まるでなく
時間だけが過ぎて
焦るばかりだった
いつも欲していたのは
手応えと根拠
それは
数字にはならない
文字には出来ない私の感覚だった
いつもつるつるの壁を
なんとか登ろうとして
掴む出っ張りも
足掛かりもなく
息を止めて
駆け上がって
少しだけ高い位置まできたものの
止まっていられなくて
ずり落ちてしまい
もとの場所から
目標の高さを見上げて
ため息をついていて
それを繰り返すのも
そろそろ疲れていた頃だったと思う
ようやく
登ろうとしている壁に
掴める出っ張りと
足掛かりになるくぼみが
少しできた気がする
それと共に
感じ方だけではなく
「記憶」の収まり方も変わった
とても早く入ってくるものと
信じられないくらい
入ってこないものに分かれた
今まで慣れ親しんできた
回路がばらばらになって
新しい回路が繋がった
慣れていないので
反復練習が必要
ものすごくぎこちなく
大げさに言うと
生まれたばかりの赤ん坊が
周りの人の表情から
自分の表情筋をぷるぷる震わせて
初めて笑顔を作るような
感じかも知れない
とてもありがたいことに
かれこれ1年になる資格認定の
呼吸について
ようやく合格をいただいた
これからアウトプットをして
自分に開いた
新しい回路をしっかりした
ものにしていきたい
嵐の前の気持ちになった日
去年の3月から、だったと思う
毎日の検温が日課になった
体温が37.5度以上を超えたら
14日間自宅待機、が
去年まで暗黙ルールだった
今は日数は明確ではないけど
37.5度を超えたら出社しないことになっている
妊娠中のスタッフが
37度を超えたと聞いたので
経験者に聞いたら
妊娠初期は体温高めになることもあるとのこと
結局彼女は風邪らしく咳も出ているとのことで
3日間テレワーク
妊娠も出産も経験ない私には
知らない事ばかりだ
昨日から全国的に寒波で
大阪でも最低気温氷点下
今までとは勝手が違う状況が
続いている
関西でも緊急事態宣言が要請されるような
流れになって
ちょっと大きな台風前のような
気持ちになっている
1回目の緊急事態宣言と違って
今回は状況の予測がつくだけに
自分の立ち位置を決めて行動できる
ただ周りの動向を感じて
息をひそめるのか
周りの事を感じつつ
自分で行動するのか
周りには一切関与せず
わが道をいくのか
(周りの空気の圧力に弱い私に
この選択肢は無理だ)
だからこそ
自分の進む道が
今まで同じ道を隣で歩いていた人たちと
別れてしまうような
タイミングに来ているのだと思う
マスクをするのかしないのか
という見た目レベルの問題ではない
自分がどうあるかを
他人からどう思われようと
通すかどうかなのだと思う
そうでないと
今やりたいことを
「コロナがおさまったら」
と先送りにしてしまう機会が
たくさん起きてくることは明白
私は
自分が選択した行動が
どんな印象を他人に与え得るのか
仕方がない
私は感情的になるのがこわくて
感情的になっている人と接するのがこわくて
出来るだけそれから逃げようとしていたけど
本当は自分が一番感情的で
見ないふりをしているから
怖いんじゃないかと
ようやく気付けた気がする
どんなに激昂にかられても
それとは全く別の
自分が心からやりたいこと
ありたいことを
分かっていればいいと思う
そうありたい
ずっと感じたいと思っていた
大丈夫も安心感も
その逆の大丈夫じゃないこと、不安なことの
裏返しなのだ
それにしがみつくのは
本当は大丈夫じゃなくて
不安でたまらないからに
他ならない
怖いも安心も
怒りも絶好調も
もう要らない
ただ今自分が何を感じているのかを
肯定も否定もせず
みている自分でありたい
自分のバランスをとること
緊急事態宣言が首都圏で発出されて
関西も同じになりそうだ
たくさんの「してはいけない」を
気にしながらの生活が
しばらく続く
不謹慎かもしれないけれど
ウイルスについては
不安や恐怖は感じない
たくさん寝て
美味しいものを食べて
深い呼吸ができるように運動をして
自分が楽しいと思うことをする時間があれば
免疫が上がって
大丈夫と思っているから
けれど
今のように
「見えないもの」を怖がって
「してはいけない」がたくさんの生活で
イライラをためている人の怒りの矛先に
当たりたくないと思う
そんな人たちは
ものすごく感度が高くて
何かのバランスがくずれると
いっきに一つの方向へ
流れてしまうように感じるから
いったん流れが始まると怒涛のようで
逆らうことはできない気がする
見えないバランスを
自分の中で保つことが
とても大切な時期だと思う
見えないバランスは
人からどう見えるかとか
どう評価されるかとか
他人から見える自分が中心になると
いっきに崩れる
ずっと自分の中にいて
ありのままの自分を受け入れることでしか
保つ方法はない
自分の中でバランスを保つことが
正しいからするのではなく
そうすることでしか
本来の自分になれないと感じるから
そうするのだ