心地よい感覚

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たぶん私はずっと
自分の身体が
思うように動かないことが
納得いかなくて

自分という存在が
疎ましくて仕方なかったから

長い長い間
あがいてきたように思う

思うように動かないといって
身体のどこかに麻痺とか障害があるわけではなく
五体満足で不足はない
はず

最近分かったのが
私は自分の理想の姿があって

生身の自分を
その理想の姿という「鋳型」に
はめ込もうとしていて

もちろんそれは
本来の自分の姿ではないので

サイズの合わない服のように
ぴちぴちではみ出たり
丈が長すぎて
引きずったり

その服を「身につけている」だけで
それを維持するだけで
ものすごいストレスと
エネルギーを消費して

自分がしたいような行動が
取れずじまいで
毎日が過ぎ去るように
生きていた

何のために生きているのかすら
分からなくなっていたと思う


Kayaスタジオの事を知る1年ほど前も
別のボディワークを学ぼうとしていた

もちろんその前もずっと
整体であったり
バレエのレッスンであったり

自分の身体を「変えられる」可能性のあるものには
すぐに飛びついて
しばらく変化がないと
別のものに変える

そんなことを続けていた

そのころは
ずいぶん自分がうっすらとは
何がしたいのか分かってきていた

5日間のボディワークは
ファスティングも同時に行って
ずいぶんいろんな不要なものが
自分から抜け落ちたときだった

3日目くらいだったと思う
午前中時間があって
近くのスーパーまでほろほろと歩いていた
ずいぶん身体がゆるんで
自由な感覚を楽しみながら
少し坂になった道を下っていた

身体の感じが変わっていたので
それまで感じることができなかった
身体の動きを楽しんでいた

何となく
自分の今までの歩き方とは違っていて
胸を張ってしゃきしゃきと歩くのではなく
胸は張っているが肩の力が抜けて
腰が自由になり
今まで無理に膝を伸ばしていたのが
力を抜いて、ゆるゆると歩いていた

それまで意識することがなかった
自分の側面が自由になり
心地よく骨盤を揺らして歩いていると

とても心細い感じがしてきた

心細い、というより
心許ない感じという方が正しい
弱々しく、何かの力がかかったら
くずれてしまうような
もろい感じ

不安定なため
何かで身体の一部を固定して
しゃんとさせたい感覚が
起きてきた

その時の服装は
しめつけない下着と
Tシャツとジャージ
身体は自由

身体の一部を固定するというのは
締め付けるのではなく
ばらばらになりそうな細い棒を
ひもで縛って束ねると

安定して立てられる

といった感覚だった


固定なのか補強なのか

そうさせたい場所は

ちょうど肋骨の下の部分
ブラジャーの下、10センチくらいのゾーン
強めにサポートしたら
もっと身体がしゃきっとする気がした


その時気づいた

帯だ!


同時に今までの自分の歩いている
新しい感覚が
着物を着て帯を締めて
歩いているとしたら
しっくりくるのを感じたのだ


うまく表現できないが
自分が着ている服装とは無関係に
自分の身体は着物を着て歩くのが
とても自然だと感じたのだ

そして自分は今まで
大変自分の身体にとって
不自然なことを課してきたことに
気づいた

私の思い込んでいた動き
例えば

洋服をきてさっそうと歩くとか
バレエで優雅に歩くとか

自分以外の人がそうするのを
「視覚で確認」しただけで
思い込んでいたのだ

そんな風になるように
自分が見えたように
動くこと
在ること
をしようとしていた

これが
本来の私の身体にとって
当たり前ではなく

これに拘りつづけることで
身体にも
きっと意識にも
ものすごい負担を強いていたのだと思う

当時は
自分が着物を着ることが自然だということに
気づいただけだった

ようやく今は
ふと見かける人が素敵で
自分もああなろうという意識をすることが

素晴らしいものの取り入れ方が
「鵜呑み」な私にとって
本来の自分から遠ざける結果になって
自分をわからせなくしてしまっていたことに
気づけた感じがする


着物は成人式と2年前に着たきりで
1枚も持っていないし
着付けも出来ない

それが自然だといって
着こなせる訳ではないから
着物も少しずつ着る機会を
作ろうと思う