春分の日 自分の中の繋がり

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​多分私は軽度だけれども
ADHDの傾向がある

何かをやり始めて少し経つと
次のことが気になり
やっていたことを放り出し

次のことを始める

前の事の期限や
出かける時間が迫って
我に帰る

出かける準備をしていない
焦って準備をする

見渡してい見ると

周りには
その前やっていたものが
広がったまま

そんなことは珍しくない

なんだか
ひとつひとつが点在して
とっちらかっているのだ


そう考えると
私の身体の意識も同じだった

バレエが好きで
憧れの動きを自分でしてみようと
レッスンをうけてみるものの
どうしても動きの「質」のようなものが
「この人の動きは素敵だ」と感じる人のものとは
違うのだ

ある時レッスン中に先生に言われた言葉を
今もはっきり覚えている

「あなたはね
それなりの体操にはなっているんだけど」

その言葉の意味は自分でも理解ができ
自分の中で
「体操」ではなく「踊り」にしたいのだと
つぶやいてみたものの

その術がわからず
諦めきれず
時を経てしまった

振り覚えが悪くて
自分がどう動いたかも覚えられない
人との位置関係も
場所の感覚も鈍くて
そもそも
踊りだけでなく
空間を使うことに対するセンスが
どうしようもないくらい皆無

就職してから真剣になった
バレエとダンスで
その自分の能力・センスは
年齢を経るにつれ
明確になっていった

空間の中で自分がどこにいるか
客観的にとらえることは
自分の現在位置を知り
自分がどこを目指し
どう進むかを知るために
どう考えても必要なのに
そこがいつも迷子なのだ

まるで
私の人生のようだと
今の私には思える

その場その場で
何とか足掻く

でも「その場」と「その場」は
繋がっていない
何も積みあがっていかない
そんな焦りが常にあった

理想だけが高いところに
浮かんでいて
何とかジャンプして
そこに飛び乗ろうとするような
そんな感覚だったのだと思う

私は常に
繋がりを求めていた

誰しも繋がりを求めると思うけれど
私の場合は
身体だったのだ

真っすぐ立つ
手を動かす
指先を伸ばす
脚を上げる
つま先を伸ばす

どれもどこかに力を入れることでしか
実現しなかった
力を入れ続けるしかなかったし
そうすることで
どんどん固まっていった
どうすればそこから別の段階に行けるのか
自分でも分からなかったし
必要なアプローチを
指導してくれる人もいなかった


今ならその理由が分かる
固すぎて
繋がりがなくて
しっかりした足裏もなくて
自分の体幹から動きが伝達されて
いなかったのだ

常に不安定で
確かなものがなく
自分が何をしたいのかさえ
分からなくなるのは
そこから来ていたのだと思う

最近
ストレッチトレーニングを続けて
いろんな部分が緩んだ
今までほぼ感じなかった足の裏の筋肉が
ようやく動くようになった

少しずつ身体が繋がるのを
感じられる

それだけではなく

意識が変わった
表現しにくいことだが
意識が明瞭になった

そして
人との繋がりの感じが
変わってきた気がする

まだまだ
とっ散らかっているが
そんな中でも
わずかな根拠(繋がり)をもとに
進んで行ける気がしている

今までとは違う感覚

べったりと張り付いていた
執着のようなものから
すんなり離れることができたような
不思議な感じがしている

今日は春分の日

混沌としている世界も日常も
それが恐れだとしても
ここから自分の中の繋がりと
新しい感覚の意識で進んでいこうと思う