怖いときの特効薬
昨日
3月から小中学校が
休校になる流れになって
一気に状況が変わったように思う
朝ドラックストアの前に
長蛇の列
ネットで調べたら
「マスク難民」
という言葉を知った
調べてみたら
感染予防に効果はなく
感染防止には有効
感染していない人が
かからないためではなく
自分の感染が広がるのを
防止するためのマスク
ただ検査をしていなければ
感染していても
分からないのが現実・・・
ウイルスに感染するのに
怖さがないわけではないが
ウイルスに恐怖を感じて
不安に駆られて
集団心理で行動する
人の流れに
不安を感じる
結局それに負けると
自分もその渦の中に
入ってしまう
不安を感じたら
いったん立ち止まって
深い呼吸をすること
不安や恐怖に
巻き込まれないために
#呼吸 #ウイルスに負けない #流されない意識
変化の乗り切り方
結局全国の
小中学校の休校が
要請された
3月いっぱい
学校は休校のもよう
学校がお休みになって
会社は休みには
ならない
お子さんのいる家庭は
本当に大変だと思う
一方
マスクが不足して
ネットで
1枚500円になっていたり
栄養ドリンクと
抱き合わせで高く販売する
ドラッグストアが
出てきたり
こういう時に
持っている価値観が
あぶりだされるのを
痛感する
正しいか
間違っているかという
判断基準は
実は役に立たなくて
自分がどうあるべきかで
決めるしかないと思う
人から見て
どうかを考えていたら
苦しいだろうな
最近
考えをまとめるとき
深い呼吸を3回
するようにしている
びっくりするような
名案を思いつくことはないが
少なくとも
自分の決断を
覚悟することくらいは
出来るようになった
#呼吸 #環境が変化する
エチケットな気持ち
世間はコロナウイルスで
持ちきり
手ピカジェルも
マスクも売り切れ続出のようだ
「咳エチケット」
という言葉も
よく見るようになった
エチケット
という言い方はネットで確認すると
「相手を不快にさせない」というい意味をもつらしい
社会のルールという意味を持つマナーではなく
エチケットなのにすこし違和感があり
私なりに考えてみた
「咳エチケット」という言葉は
感染する可能性を排除するというよりは
感染させる可能性をイメージさせない配慮であり
あくまでも自分が加害者になることを
回避しているように感じる
自分が感染したら
感染源になること=人に迷惑をかけるとしたら
本当に他人に迷惑をかけることを
良しとしない社会なのだと思う
もし感染力のつよいウイルスが流行したら
感染する人の人数が増え
多数派=感染者になる
そうなったら
この感覚はどう変わるのだろう?
(この場合、感染しても死なない前提)
感染者が大多数になり
感染していない人が少数派になったら
それほど自分が感染源になることに対する
罪悪感はなくなるのではないかと思う
数の論理
実は
自分が他人に迷惑をかけてはいけない
という考えの根本にあるのは
自分がされて嫌なことをしない
という思いやりの場合と
自分が多数派であり続けたい
という自己防衛の場合の
2種類があるのではないかと思う
後者の場合
自分が多数派の立場である限り
圧倒的に反対の立場から
批判されたり排除される力が
働くことはないと考えるのではないか
自分を守ろうとすることは
ある意味本能だ
それ自体が悪いわけではない
けれど自分がしている行為の基が
どちらなのか
意外に人は直観で気づいてしまう
それが私がエチケットという言葉で感じた
違和感なのだと思う
常識・非常識
今の私の価値観は
今まで生きてきた中で
正しいと教えられてきたことが
もとになっている
自分で体験して
正しいと教えられたことだけでなく
自分の周りの人が
正しいと言ったり
これはいけないことだと
言ったことを
積み上げた結果のことを
常識と言うのだと思う
常識はもともと自分の考えではない
他人の価値観を
鵜呑みにして
自分の価値観にしていること
いったん取り込んだら
はじめは人のものだったのに
自分のものにして
本当の自分の価値観が
分からなくなる
自分の価値観が分からなくなると
自分の価値観ではなくて
他人の価値観で判断するようになる
それって
自分ではない
どんな時でも
自分でいたい
他人の価値観を
うっかり自分のものに
してしまわないために
他人のものは
ほんのちょっぴり
違和感がある
それが
どんなに正しいものであっても
その
ほんのわずかの
違和感に気づくために
いつも
自分の感覚を
自分のセンサーを
オンにしていること
私は
手を胸において
少し深呼吸するようにしている
絶対正しい
正義の味方なんて
本当はいない
#呼吸 #自分と繋がる #自分のセンサーをオンにする
無自覚な戦争
ちょっと考えてみた
第二次世界大戦が1945年終わった戦後から
75年間日本は戦争していない
本当にそうだろうかと思う
ボタンひとつで
一瞬にして多くの生きている
命の火を消してしまえる
兵器が作られてからも
何十年も経ち
遠隔で
遠くにあるPCの操作が
出来るようになって
20年くらい経っている
そんな今、多くの人が
全く知覚することなく
「戦争」という状態にすることも可能ではないかと思う
戦争や徴兵に反対する人は多くいる
私自身も戦争にはネガティブなイメージを持っている
暴力や殺人は良くないと思っているからだ
だけど現代の戦争は私が持っているイメージとおりの
ものだろうかとふと思ったのだ
多分
次に戦争があるとしたら
映画で見るような
泥まみれでガテン系の前線で戦う兵士は不要で
一部の利権を持った人たちが指示を出し
ネット上で攻防が繰り広げられるようなものでは
ないのだろうか
遠隔可能で戦闘服も不要
現場での活動はなし
事務所のパソコンでTシャツ短パンでの作業
そんなことが可能かもしれない
情報戦
すでに形を変えた
「戦争」
単純に目に見える形の
暴力だけではなく
自分の意志が操作されることで
変わっていく現実
気づいたら思いもよらない方向に
自分たちが向かっていくことが
起きるのではと思う
そうだとしたら
どうしたら気付けるんだろう?
どうやって止める流れを作ればよいんだろう?
自分に何か出来る事があるとすれば?
目の前の相手の話を
鵜呑みにすることで
思考が停止する
自分の中にある
微かでもいいから
違和感に気づくことが
大切だと思う
自分にとって本当は
何が幸せなのか
分かっていれば
違和感に気づける
そして
一番大切なのは
違和感をちゃんと
相手に伝えること
たとえ
周りの人全部が自分と違う意見で
自分ひとりになっても
自分の中の違和感
自分の感覚に敏感になるために
思考停止に陥らないために
今やっていることの手を止めて
深呼吸しよう
3回はしてみよう
2歳女児とともに
何十年ぶりにブランコに乗った
本当に楽しかった
#呼吸 #自分の感覚を磨く
表現することは伝えること
Baliassiのクラスでやった
ペアワーク
自分がイメージした花を
相手に伝えて
ペアはそれを当てるのだ
私のペアワークの相手は
あいちゃんだった
正解は「ひまわり」
花を当てることはできなかったけど
色は分かった
身体の動きや表情で
表現することは難しいけど
それなりに伝わるものは
あるのだなと思った
ただ、相手に伝えるためには
コミュニケーションを
とらなくてはいけない
例えば
受け取るときは
ちゃんと相手の目を見る
自分の中で浮かび上がった感覚を
本当にわずかでも
すくいあげてみる
自分が伝える側だったら
伝えたいものの
姿をリアルに思い描く
触った感覚を
感じてみるとか
香りを想像するとか
表現するということは
伝えること
言い換えれば
説明すること
ダンスであっても
ほかのことだったとしても
明確に伝えたいなら
分かりやすくなければ
伝わらない
もちろん
テクニックもあるけれど
それだけではない
ちゃんと「相手」に分かるようにすること
分かっているけどなかなか難しい
#Baliassi #表現力 #ダンス
知ってしまった秘密
このタイミングで
いろんなことを
振り返っている
きっかけは
母のことだけではない
不定期に通っている
トレーニングスタジオで
「呼吸」について
プライベートレッスンを
受けるようになった
それまでは
機会がなくて、を理由に
敢えてクラスに出ることはなかった
だけとある時
気付いててしまった
深く深く呼吸をすることを
続けると
あちこち固くて
呼吸がしにくい感覚のあと
重い荷物を下ろしたような
ほっと安堵の感覚がきて
ほっこりする
それと同時に
なぜか子供の頃の感覚が
戻ってくる
その時は
小学生の頃の記憶だった
弟とテレビで野球を見ていた
チームも忘れた
だけどその頃の私は
スコアの付け方も覚えようとして
何とかゲームに
ついていこうと必死になっていた
本当は野球に興味なんて
なかった
野球に夢中になっていたのは
弟の方だった
私は何かというと
弟のことを構う母の
気を引くことしか
頭になかったように思う
私の中で蘇った感覚は
焦って必死にすがりつくこと
置いていかれる
ふるい落とされる
捨てられる
1人になる
そんな焦り
もっと深いところには恐怖がある
みたいな感じだった
お腹を凹ませて
息を吐き切ろうとする時に
本当に苦しくて
チビりそうな恐怖を感じる
(真剣にヤバい感覚)
大げさと笑われるかもしれない
でも
無意識に深く呼吸をすることを
避けていた理由の
一つかもと思った
気付いてしまったからには
やらない訳にはいかない
恐怖の先には
多分私が知らなかったことが
あるはずだと
妙な確信があるから
#Kayaスタジオ #呼吸 #意識が変わる #身体が変わると意識も変わる
#怖い嫌いは変化のチャンス