エチケットな気持ち

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世間はコロナウイルス
持ちきり

手ピカジェルも
マスクも売り切れ続出のようだ

「咳エチケット」
という言葉も
よく見るようになった

 

エチケット

という言い方はネットで確認すると

「相手を不快にさせない」というい意味をもつらしい

 

社会のルールという意味を持つマナーではなく

エチケットなのにすこし違和感があり

私なりに考えてみた

 

「咳エチケット」という言葉は

感染する可能性を排除するというよりは
感染させる可能性をイメージさせない配慮であり


あくまでも自分が加害者になることを

回避しているように感じる

 

自分が感染したら

感染源になること=人に迷惑をかけるとしたら

 

本当に他人に迷惑をかけることを

良しとしない社会なのだと思う

 

もし感染力のつよいウイルスが流行したら

感染する人の人数が増え

多数派=感染者になる

 

そうなったら

この感覚はどう変わるのだろう?

(この場合、感染しても死なない前提)

 

感染者が大多数になり

感染していない人が少数派になったら


それほど自分が感染源になることに対する

罪悪感はなくなるのではないかと思う

 

数の論理

 

実は

自分が他人に迷惑をかけてはいけない

という考えの根本にあるのは

 

自分がされて嫌なことをしない

という思いやりの場合と

 

自分が多数派であり続けたい
という自己防衛の場合の

2種類があるのではないかと思う

 

後者の場合

自分が多数派の立場である限り
圧倒的に反対の立場から

批判されたり排除される力が

働くことはないと考えるのではないか

 

自分を守ろうとすることは

ある意味本能だ

それ自体が悪いわけではない

 

けれど自分がしている行為の基が

どちらなのか

意外に人は直観で気づいてしまう

 

それが私がエチケットという言葉で感じた

違和感なのだと思う