ひざを伸ばす
とても当たり前のようで
私にとってはなかなかの難関
「ひざを伸ばして立つ」
少しX脚の私は
少しくらい抜けていても
(伸びていなくても)
膝小僧がポッコリ前に出ることはなく
何となく自分でも誤魔化してしたんだと
今までの自分を振り返って
思えることがあった
観る人がみれば
はっきり分かる
トレーニングのクラスで
何度も何度も注意を受ける
「ひざ、伸びてない!」
伸ばそうとするのだが
身体がいうことをきかない
「ハムストリングが短い」
とのことだった
ひざって、美醜の問題ではなく
ひざ裏がしっかり伸びて
初めて
身体の構造が機能するのだとは
何となく分かっているものの
(何がどう機能するかは、まだ分かってない)
だから
何とかして伸ばしたい
ハムストリングを伸ばすのはどうしたら
いいんでしょう・・?
って質問してみたところ
ひたすらストレッチしかないんじゃない?
と言われてやるものの・・・
けっこう、これ辛いw
ゴールデンウィークが始まり
3日目にして今までの疲れが出たかのように
体調不良に襲われ、起き上がれなくなり
予定をキャンセルして
布団の中でゴロゴロ・・
いつものように
お腹周りのセルフマッサージ
あちこち懲りをほぐす
骨盤周りの懲りと痛さが
酷かった・・・
しばらくして立ってみて
何か感覚が違うので
前屈してみたところ
ひざ裏が伸びてる!
しかも痛くない!!
(あくまでも昨日までの自分との比較)
ひざを伸ばすには
ひざではない場所を緩めるのが
有効ということが分かり
ますます身体に興味津々
床と仲良くなるために
「あなたの踊り、床と仲良くないね」
短いカウントの動きにいただいた
アドバイス
ジャンプしても
どんな動きをしても
足音がしない踊りに
憧れていたので
心に響いた
床と仲良くなること
意識して足裏で床を感じようと
してみた
足裏が床を感じるまで
待ってみた
そして
踊りの間だけでなく
普段の時間でも
足裏を感じてみた
気付いたら
一歩を出す歩幅が
今までとは違っていた
ただ2本の足で立つときの
足幅も今まで通りだと
違和感を感じた
3日が過ぎ
足の裏の間隔に慣れてきた
足裏の重心も変わり
わずかだが
姿勢も変わったと思う
気のせいかも知れないが
今までなかなか
腑に落ちなかったことが
すんなりと腑に落とすことが
できるようになった気がしている
苦手だった人とのやり取りが
楽になった
これ以上消化できない量を
目の前にしたとき
すぐに切の良いところで
切り上げられるようになった
すぐに混乱しなくなった
人から見たら分からないレベル
ただ自分の中で
今までと全く違う感覚
状況は全く変わっていなくて
変わったのは
私の意識だけ
この状況をもう少し
観察してみることにする
一歩出してみる
両足で真っ直ぐ立つ
がしっくり来ていない
にもかかわらず
いろんな動きを
「美しく」
やろうとする
私がいることを
タンデュという動き
軸足以外の足を
つま先が床から
離れることなく
膝もつま先もすっと
伸びている
基本中の基本
私は自分の両足の
膝同士がピンと張られた
弓のように
伸ばす意識が
全くなかったなと
あらためて確認した
目で見えている部分と
実際の自分の身体の
中で起きていることは
かなり予想外で
自分の身体には
自分の身体にふさわしい
通り道があるのだと
分かった
ただその通り道は
とても狭くて
身体のあちこちを
ちゃんと調整しないと
真っ直ぐになってくれない
小さい針の穴にめがけて
2メートルくらい先から
通す糸を運ぶ感じだ
今までは
針があるのかさえ
分かっていなかった
そして少しだけ
エックス脚の私は
ちょっと力を入れるだけで
一見膝が伸びているように
見えるので
膝を使って伸ばすのか
分からなかった
これも
「見た目
を頼りにしすぎて
本質が見えていない」
私の課題
しっかりと着地した日
この前
真っ直ぐ立つことについて
自分の中で何かを掴んだと思った
それは爪先立ちでのことだった
トウシューズを履いていれば
「ポアント」と呼び
履いていなければ
「ルルベ」という
どちらもバレエでの呼び方だ
ただ両足で立つだけでなく
ルルベやポアントのように
接地面積が少ない方が
難易度が高いように
感じるかも知れない
しかし
少なくとも
私の場合はそうではなく
「ただ足の裏全てで床を押して真っ直ぐ立つ」
これが出来なくて
苦戦している
むしろ
足の裏全体で立つだけの方が
難易度がはるかに高い
多分
今までの人生で
全く出来たことがなかった
ということが
今日分かった
今まで「点」でしか
感じることが出来なかった
「踵(かかと)」が
面で感じられるようになったこと
「踵」には
親指側の感覚も
小指側の感覚も
両方あるということ
自分の身体に見合った
足のスタンスが
明確に分かってきたこと
ひとつひとつ
動作の「根拠」を確かめながら
動けたように感じて
今日は自分の足の裏の感覚を
堪能した
今通っているトレーニングで
腕び集中ケアをしたので
その効果が出たのだと思う
今まで
ほとんど塊でしかなかった
自分の足の裏の感覚が
解けていき
感覚がもどっていくのは
はじめてのようで
懐かしい感じがする
足の裏は筋肉でできているので
感覚がもどってくると
ただ立っているだけで
筋トレをしているように感じる
この感覚がないままに
今まで
どうやって動いていたのかと思う
訳が分からないままに
感覚のないままに
「歩け!」
「走れ!」
「もっとつま先のびないのか!」
「もっとできるはす、頑張れ!!」
自分で自分の身体に命令して
動かしていたのだと思うと
とても切ない
「あなたのはとても体操としては
よく動けていると思うけど」
昔私のことをそう言ってくれた先生がいた
そのを言葉ふと思い出した
整っていない身体で
何とかこなそうともがいていたに
違いない私の歴史
身体は
周りから見てもはっきり分かるほどに
私の命令に従順に動いてくれていた
今日のこの感覚も
私の中の違和感が
ひとつ
解けた経験だった
今までこんな私に付き合ってくれて
見放すことなく
今日も私とともにいてくれる
私の身体に感謝
どんなところでも生き抜くために
上野千鶴子氏による
東大新入学生に向けての
メッセージ
東大生に向けてではなく
自分に向けとのものと
おもってみる
「どんな環境でも、
どんな世界でも、
たとえ難民になってでも、
生きていける知を
身につけてもらいたい。」
が心に響いた
私はどんな環境でも
生きていくのに必要な
基本的な構造的機能は
肉体だと思っている
持っている身体の構造が
その機能を発揮できていること
自分にとっては
持っている構造が
本来の機能を取り戻すことが
生きることの前提だと思う
上野千鶴子氏のメッセージはときら
https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/tokyo-uni
身体の癖 本来の自分
思いもよらぬ展開で
スタジオパフォーマンスとして
に出させていただくことになった
今まで月1回くらいのペースで
レッスンしていた
バリ舞踊がベースになっている動きを
反復練習している
気付いたのは
私は「左利き」だということ
もちろん今まで
自分は左利きとは知っていた
けれどはっきりと確信を持って
生まれつき左利きであると
言えるようになった
なぜかというと
あきらかに
指の動きのコントロールが
左手の方が良いのだ
意識して動かせるのは
右手の方だと感じるのに
振付の動きのコピーの精度がよいのは
左手なのだ
わたしの身体の中で一番
繊細に動きある意味
一番道具を使う「手」
本来の力を発揮できない方を
敢えて使っていたのかも知れない
小さいころ両親は
私が左手でつかんだスプーンを
何度も何度も
その手から取り上げて
右手に握らせたそうだ
「女の子だから左利きはみっともない」
文字を書くとき
ご飯を食べるとき
毎日の人前で目立つ動作を
徹底的に矯正されたようだ
6歳ではじめたピアノ
先生からは
「あなたの演奏はきたないから、きらい」
と言われて落ち込んだことがある
しばらく
先生は私のピアノが気に入らないようだった
「ようやく、あなたも弾き方がわかってきたわね」
と言われたのは中学に入ってからだった
そのころ初めて
先生が私のピアノを嫌いだと言ったのは
伴奏の音量が
メロディよりも大きく
音楽としてアンバランスだったからだと
今なら分かる
メロディを奏でる右手の力が
伴奏を弾く左手の力より
弱いせいだった
自分の利き手の力が
もう片方の手よりも
強いのを分かっていなかったのだ
自分の身体の特性を
うっすらと自覚したのは
13歳くらいのころ
本来の自分の利き手でない手で
毎日の生活をしていることに
根拠がない違和感を感じていた
その頃から
左手で文字を書く練習を
始めたりしていた
良く使う「手」によって
何が変わるというのか
分からない
ただ
「自分の身体を使いこなす」
ということについて
平常ではいられないのは
確かだ
どうでもいい
とは
どうしても思えない
だから、ダンサーでも
アスリートでもないけれど
ずっと身体を動かすことに
こだわるのだろう