1年の後半戦

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もうすぐ9月も終わる
今年もあと3か月となった
気が付けば1年が終わる

今年1年は本当に
コロナを機に
予想しない展開が起きた9か月

2月の初めには
こんなことになるとは
全く予想できなかった


昨年と同じように
仕事も人間関係も継続して
変わりなく
時間が経過していくのかと
思っていた

ぼんやりしていたら
このまま1年が終わり
人生も終わってしまうくらい
時間のたつのは本当に早い

時間の流れの速さに
振り落とされないよう
自分自身を出し切って
生きたいと思う

オンとオフの選択

f:id:lily777flura:20200926015533j:plain週末が来ると
気持ちが上がる

休みが終わる日は
気持ちが沈む


休みは自由があって
好きなことができるから
楽しい

仕事は
自由がなくて
義務だから
楽しくない


長い間
そう思ってきた

本当にそうかな


今日
急にそんな風に思った


仕事はオン
プライベートはオフ
よく使われる言い方

私の場合を考えてみた


オンの時は

・緊張
・義務
・テンションを上げる


オフの時は

・リラックス
・自らすすんでやる
・自然体


なんだか

自分で考えてみて
明かにオフの時自分の方が
パフォーマンスが良いことに気づく


逆に
オンの時は
上手くいかなさそうで
効率の悪そうな感じがハンバない


今日私が選択したのは
オンとオフの切り替えなんか必要ない

これから
ずっとオフの状態で
いることに決めることにした

その結果は
後日報告することにする

泣くということ

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最近
することがなくなって
ほっとすると

めそめそモードになることが
多くなった

「めそめそ」っていうのは

じんわり涙が出てくる状態ということ


母が亡くなって1年

そんな時期なのかもしれない


泣くということに
罪悪感があった

小さい時に
泣いたら許されると思っている
その在り方がズルいと
非難された友達を
見たからかもしれないし

あなたは怒られても泣かなくて偉い
と言われたからかもしれない

よく考えると
どちらも本当だ


大人になって
もっと泣ければいいのに
と思うことは増えた

でも
コントロールはできてない


泣いている自分にとっては
「泣く」ということは
ただの身体の反応に過ぎないが

誰かが泣いているのを見たときに
自分のなかに
どうしようもない
もやもやが発生する

私の場合は
泣けない自分がよりいやになるのと
泣けている人がとても純粋に見えて
羨ましい

めそめそしている今の自分は
ちょっとどんよりしているけど
ようやく泣けたことで
少し満足しているのかもしれない

 

写真は自粛時期に久しぶりに会話した

近所の公園の桜

心の距離を縮めたいとき

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私は月水瓶座のせいか
どんなに好きな相手であっても
1人でいられる空間と時間が必要

彼氏とも
ずっと一緒にいたいという気持ちはあるけど
ずっと同じ空間にいるのは
多分耐えられない

相手も同じく自分の空間を大切にしてくれているのか
私に気を使って私の希望する距離に
同意してくれているのかは不明

自分との距離をとってくれているのは
実は私が感じている相手との距離感と
相手が自分に感じている距離感が違い

私が相手を思うほど
相手は私のことを思っていないのかもしれない
と不安になってしまい

相手の行動を察しようとするがあまり
自分の気持ちと自分の相手についての考察の間で葛藤し
疲れてしまうこともしばしば


物理的な距離はとても大切で
私がマッサージやタッチセラピーが
大切だと思う基礎になっているし

心の距離は
人間関係の土台になっていると思う

今までは何よりも物理的な距離が
大切だと思ってきた

恋愛なら
遠距離ではなく一緒に暮らすことだし
よりそれが強くなって
結婚するのが何よりだし

出来るだけ一緒にいることで
心の距離も縮まると思っていた


だけど最近
一緒にいることで
心の距離が縮まっていくのは
ただの錯覚であって

一緒にいても
たとえ身体を開いたとしても
心を開いていない事は
意外に多いことに気が付いた

これは私の場合


実は
物理的に一緒にいなくても
心の距離を縮めることはできるのだと
そんな気がしている

 

物理的な距離と
心の距離

どちらも大切だけど
そろそろ
心の距離を大切にしても
良いのかもしれないと思う今日この頃

毎日をイベントにするには

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2日間のイベントが無事終了


今回の会場は

外からはギャラリーに見えないし

そんな広くも思えないけど

一歩中に足を踏み入れると

今にも妖精が現れそうな

不思議な空間だった

本当に楽しい時間だった


無事帰宅して

ほっとすると同時に

明日からの日常を思うとき


この2日間は非日常で

非日常だから刺激的で楽しい

日常は刺激がないから楽しくない


それが常識


そう思っている自分がいた

常識ではなくて

新鮮味がないと思っているだけ

秋分の日のイベント

コロナがー

と言い始めたのは2月頃
まだまだ寒かった

春から緊急事態宣言で
久々にメンタルダウン寸前で
できるなら
ずっと家にこもっていたかった5月
外出して歩くと少し汗ばむ
過ごしやすい季節だった

そろそろ活動できるけど
マスクが息苦しくて
体調不良も精神も揺れ動いた8月
意外にも暑い期間が少なかった

今日、秋分点を迎えて
季節は彼岸
今晩はすごく冷え込んだ

季節の移ろいを身体から感じるように
社会の流れを会話で判断しているのに
今日気がついた

今、自分の人生はどの季節なのか
あまり考えたくなかった
それは
終わりを知ることであり
可能性が閉じていく
無力さを噛みしめるようで
虚しいと思ったからだ

春は目覚め
夏は盛りで
秋は実り
冬はサイクルの終わり

ずっと、春、夏、秋は良くて
冬は終わりで、寒くて、怖いと
思っていた
冬は寒いし大嫌いだった

出来るなら
ずっと夏から秋で
止まっていて欲しいと
ぼんやり思っていた

冬が嫌いなわけは
終わりだと思っていたからだ

間違いなく
私は終わりに向かっている

もちろん
わたしだけではなく
わたしを含む全てが同じ
終わることは悪いことでも
悲しいことでもない

そんなことを思いながら
イベントでライアーを聴きながら
いつもと違う素敵な場所で
手と暦を読ませていただいた
不思議なことに
読んだ内容は自分向けの
メッセージになっている

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ヘビーローテーションな毎日

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ヘビーローテーションな日々

私のお弁当の話

 

私には珍しく

お弁当持参が継続している

 

その代わり

メニューは超ヘビーローテーション

 

豚か鳥の胸肉

豚は炒めて

鶏肉は焼くか、鳥ハム

 

青物

・枝豆

ブロッコリー

・オクラ

・ピーマンの塩昆布あえ

 

たまにポテサラ

かぼちゃのオリーブオイル焼き

彩りにプチトマト

 

ご飯に必ず入れるのが梅干し

ごま塩かおぼろ昆布をトッピングする

 

ワンパターンでも自分で作ると

なぜか飽きない

 

今朝はかなりボケていて

ピーマンの千切りに塩昆布をあえたつもりが

ふえるわかめを混ぜて

昼ごはんにお弁当の蓋をあけて

気づいた

 

ふえるわかめも塩味なので

味付けは問題なかった・・・

 

時間通り

それなりのバランスの食事は

お弁当が生命線なので

私なりに真剣

 

自分の身体を作っているのは

食べ物だから