無自覚な戦争
ちょっと考えてみた
第二次世界大戦が1945年終わった戦後から
75年間日本は戦争していない
本当にそうだろうかと思う
ボタンひとつで
一瞬にして多くの生きている
命の火を消してしまえる
兵器が作られてからも
何十年も経ち
遠隔で
遠くにあるPCの操作が
出来るようになって
20年くらい経っている
そんな今、多くの人が
全く知覚することなく
「戦争」という状態にすることも可能ではないかと思う
戦争や徴兵に反対する人は多くいる
私自身も戦争にはネガティブなイメージを持っている
暴力や殺人は良くないと思っているからだ
だけど現代の戦争は私が持っているイメージとおりの
ものだろうかとふと思ったのだ
多分
次に戦争があるとしたら
映画で見るような
泥まみれでガテン系の前線で戦う兵士は不要で
一部の利権を持った人たちが指示を出し
ネット上で攻防が繰り広げられるようなものでは
ないのだろうか
遠隔可能で戦闘服も不要
現場での活動はなし
事務所のパソコンでTシャツ短パンでの作業
そんなことが可能かもしれない
情報戦
すでに形を変えた
「戦争」
単純に目に見える形の
暴力だけではなく
自分の意志が操作されることで
変わっていく現実
気づいたら思いもよらない方向に
自分たちが向かっていくことが
起きるのではと思う
そうだとしたら
どうしたら気付けるんだろう?
どうやって止める流れを作ればよいんだろう?
自分に何か出来る事があるとすれば?
目の前の相手の話を
鵜呑みにすることで
思考が停止する
自分の中にある
微かでもいいから
違和感に気づくことが
大切だと思う
自分にとって本当は
何が幸せなのか
分かっていれば
違和感に気づける
そして
一番大切なのは
違和感をちゃんと
相手に伝えること
たとえ
周りの人全部が自分と違う意見で
自分ひとりになっても
自分の中の違和感
自分の感覚に敏感になるために
思考停止に陥らないために
今やっていることの手を止めて
深呼吸しよう
3回はしてみよう
2歳女児とともに
何十年ぶりにブランコに乗った
本当に楽しかった
#呼吸 #自分の感覚を磨く
表現することは伝えること
Baliassiのクラスでやった
ペアワーク
自分がイメージした花を
相手に伝えて
ペアはそれを当てるのだ
私のペアワークの相手は
あいちゃんだった
正解は「ひまわり」
花を当てることはできなかったけど
色は分かった
身体の動きや表情で
表現することは難しいけど
それなりに伝わるものは
あるのだなと思った
ただ、相手に伝えるためには
コミュニケーションを
とらなくてはいけない
例えば
受け取るときは
ちゃんと相手の目を見る
自分の中で浮かび上がった感覚を
本当にわずかでも
すくいあげてみる
自分が伝える側だったら
伝えたいものの
姿をリアルに思い描く
触った感覚を
感じてみるとか
香りを想像するとか
表現するということは
伝えること
言い換えれば
説明すること
ダンスであっても
ほかのことだったとしても
明確に伝えたいなら
分かりやすくなければ
伝わらない
もちろん
テクニックもあるけれど
それだけではない
ちゃんと「相手」に分かるようにすること
分かっているけどなかなか難しい
#Baliassi #表現力 #ダンス
知ってしまった秘密
このタイミングで
いろんなことを
振り返っている
きっかけは
母のことだけではない
不定期に通っている
トレーニングスタジオで
「呼吸」について
プライベートレッスンを
受けるようになった
それまでは
機会がなくて、を理由に
敢えてクラスに出ることはなかった
だけとある時
気付いててしまった
深く深く呼吸をすることを
続けると
あちこち固くて
呼吸がしにくい感覚のあと
重い荷物を下ろしたような
ほっと安堵の感覚がきて
ほっこりする
それと同時に
なぜか子供の頃の感覚が
戻ってくる
その時は
小学生の頃の記憶だった
弟とテレビで野球を見ていた
チームも忘れた
だけどその頃の私は
スコアの付け方も覚えようとして
何とかゲームに
ついていこうと必死になっていた
本当は野球に興味なんて
なかった
野球に夢中になっていたのは
弟の方だった
私は何かというと
弟のことを構う母の
気を引くことしか
頭になかったように思う
私の中で蘇った感覚は
焦って必死にすがりつくこと
置いていかれる
ふるい落とされる
捨てられる
1人になる
そんな焦り
もっと深いところには恐怖がある
みたいな感じだった
お腹を凹ませて
息を吐き切ろうとする時に
本当に苦しくて
チビりそうな恐怖を感じる
(真剣にヤバい感覚)
大げさと笑われるかもしれない
でも
無意識に深く呼吸をすることを
避けていた理由の
一つかもと思った
気付いてしまったからには
やらない訳にはいかない
恐怖の先には
多分私が知らなかったことが
あるはずだと
妙な確信があるから
#Kayaスタジオ #呼吸 #意識が変わる #身体が変わると意識も変わる
#怖い嫌いは変化のチャンス
今の私にできること
1週間前
富山に出張だった
昨年母が亡くなってから
あっという間に
4か月が過ぎた
今思えば怒涛だった
怒涛で良かった
目の前にある仕事を
こなしていく必要があり
その間は
気持ちが落ち込まなくて
助かった
心から仕事があることに
感謝した
反面
今までは
経験することがなかった
急な出張のため
楽しみにしていた
ダンスの発表会を
キャンセルしたり
20年以上も
連絡をしていなかった
同期入社の友人と
ゆっくり話す機会を得たり
今まで
目をつぶって
息を止めて
駆け抜けるように
過ごしてきた
自分との戦いの日々を
思い返すことが
多くなった
私は何と
戦ってきたのだろう
いや
戦ってきたのではなく
逃げてきたのだ
何かに立ち向かうふりをして
本来の自分から
逃げていたんだと思う
今も忙しさを理由に
逃げ続けていること
自分がやろうとしていることに
すぐに言い訳をしようとする癖
好きだから
実は好きではないから
得意だから
本当は苦手だから
才能があるから
全くセンスがないから
そんな事とは
全く関係ないのだと
特に母がいなくなってから
強烈に
見せつけられている
私が母に
脅威を抱いていた頃の
母の年齢は
とっくに越えているのに
年齢ではなく
自分の中に
植え付けてしまった感覚は
本当に根強い
もしあの時に戻れて
今の私が選択して行動したら
今とは違う人生を
歩んでいたに違いない
だけど
今の私があの頃に戻れないし
あの頃の私に何か
してあげる事なんか
できない
何とか出来るのでは
今のこの自分だけ
親だったり
社会だったり
外からの
価値観が無かった頃の
本来の自分に還ってゆくのは
自分の意思の力しかない
変わるということ
人間は進化なんかしない
あるのは変異だけだ
今までと同じことの連続
発想の連続から
急に全く違ったことを
選択する
少しずつ変化するのではなく
連続性なんかなく
突然異なる選択をするのだ
ただ
他人から見る変化は
ゆっくり見えるだけだ
本人の
うちなる変化は
細胞の
ひとつ ひとつ
確実に変わる
ある一定数変化したら
一気に変わる
遺伝子が変異して
あるとき
全く今までと違う
子供が生まれてくるように
変わるということ
人間は進化なんかしない
あるのは変異だけだ
今までと同じことの連続
発想の連続から
急に全く違ったことを
選択する
少しずつ変化するのではなく
連続性なんかなく
突然異なる選択をするのだ
ただ
他人から見る変化は
ゆっくり見えるだけだ
本人の
うちなる変化は
細胞の
ひとつ ひとつ
確実に変わる
ある一定数変化したら
一気に変わる
遺伝子が変異して
あるとき
全く今までと違う
子供が生まれてくるように
『道』
冬至に
バリアージ15周年記念公演『道』の
千秋楽を観た
90分の物語になっていて
観終わったあと
心が暖まって
じんわりと涙がこみあげた
今まで凍っていたものが
解けていく感じだった
観客の1人である私にとって
今回の『道』は
昨年6月の宴から
始まっていた
あのときChieさんは
トリで「冬」を踊った
ラストで
枯れ落ちる老木の
周りの空間いっぱいに響く
ずしん、ずしんという音は
本当は聞こえてはいないのに
今でも耳の中に残っている
今回は季節が進んで
春で終わった
冬、木の葉は枯れ落ち
緑はなくなる
灰色の世界は
死のようで
恐ろしい
春は
新しい命が生まれ
芽吹く季節だから
素晴らしいという
私の価値観は
肩すかしをくらい
死は終わりではなく
次のプロセスに進むための
ひとつの通り道であり
それが
どんなプロセスであったとしても
留まらず
歩み続けることが
歓びであるということを
感じて
心が暖かくなった
二胡とチェロ
鼓と唄
歌と声
ダンスだけでなく、
能、芝居も
表現の手段として
使われていて
目から
耳から
全身の皮膚の細胞の
ひとつひとつから
作品を
受け取ることができた
8歳のMarikaの
まっすぐなまなざしは
物語の語るうえで
欠かせなくて
秀逸
舞台中央の樹のオブジェが
珊瑚のようで
天井からあたるライトの光が
海面から注がれる日の光のようで
まるで
海の底にいるような錯覚
とてもあたたかく
安心感があった
母の子宮の中にいて
どんなことがあっても
守られているような
安心感だった
それは
『道』の中のストーリーだけでなく
このステージそのものが
大いなるものに守られていたからかも
知れない