ねじれたからだ ねじれた心
認定資格のビフォーアフター写真で
自分の身体が傾いていて
ものすごく腑に落ちたと同時に
自分の中がぐらぐらして
今まで大切に抱えてきたものは
持っていられなくて
足元にぶちまけて
ぼうぜんと立ち尽くす感じだった
何度か余震のように
自分を振り返り
すこしずつ静寂に変わった
今まで
ねじったり
ひねったり
固めたり
(無意識に)
いろんな手段で
まっすぐであろうとしたけど
遂に
緩めて
ありのままにしてみたら
自分の体がまっすぐでなかった
ということをつきつけられた
その事実を受け止めることは
意外に冷静にできた
そこからだった
自分の中で見たくない
認めたくない何かが
私のことを
揺さぶった
アガサクリスティーの
「ねじれた家」を思い出す
ねじれた家に住む、ねじれた男と
ねじれた心の人達の話
マザーグースの「ねじれた男」が
もとになっている
「ねじれた男」は
背中の曲がった男のこと
クリスティーの小説の中で
ねじれた男は
曲がった背中と同じように
心も歪んでいて残酷な老人
そんな話を読みながら
ディズニーのアニメだったり
現実と境目がつかない
自分がいる
見た目がねじれてる人間は
根性も曲がっていて
邪悪で
意地悪じゃないか
そう思っている自分がいる
で
自分を振り返って
自分の背骨は曲がっているのだ
自分の根性は
精神は
曲がっている?
生まれつき
真っすぐでない身体の人は
精神的にもゆがんでいる?
荒唐無稽ってわかっている
でも否定できない自分がいた
きっと
知られてはいけないと
思ったのだと思う
自分の
ありのままの姿を
だから
自分にさえ知られないように
自分の目さえごまかして
長い間生きてきたのだ
でも今なら少しわかる
私は身体の持ち主だけど
身体は私ではないことを
身体は見える
でも
心は
意識は見えない
本当の私は
目には見えなくて
身体を通して
見えるようになっているだけ