闇という幻想

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スピリチュアルでなくとも
「闇」という言葉は
良く使われる

「●●界の闇を暴く!」
みたいな
車内吊り広告は
通勤時に無意識に目にして
その時は憤りだったり
悲しさだったりは
感じない事が多い


闇というと
良くないこと
醜いこと
見たくないこと
が混沌と底の辺りに
なにやら粘液質な感じで
溜まっているように感じる

それはまるで

一見高潔で明るくて
いいことばっかりの裏側には
バランスを取るように
悪いことがあり

やっぱりいい事ばかりじゃ
なかったよね
という結論になり

「完全ではなかった事」
に対する批判が話題になる

あたかも
「完全であることが正しい」
という
無言の共通認識があるように思う


自分の中にも
「闇」はあると
ずっと思ってきた

例えば
友達があっけらかんと話す
家族のこと
とても恥ずかしいと思って
口に出来なかった

「父が病気療養で自宅にいます」

とても言えなかった
言ってしまったら
どんな病気なの?
お母さん働いてるの?
生活どうしてるの?

そんなことを聞かれそうで
わたしの答えの
受け取られようによっては
同情されたり
逆に避けられたり

そらが嫌だったから
白日のもとに晒すのをやめて
蓋をした

これ以外の「闇」も
たくさんある

世間では「悪い」
としていることも含めて
明かしたら
目の前の相手の態度が
一変しそうなもの

すぐには変わらないけど
ずっと後で影響して
あの時言わなければ良かったと
後悔しそうなこと

わたしにとっての「闇」は
周りの誰かとの
関わりのためにあった

それがたとえ
些細なことであろうと
自分で自分のことが
許せないからだった

自分の家庭環境とか
親との関わりとか
自分の容姿とか
自分のポンコツ具合とか
自分の性格とか

多分
誰かのそれと
比較してたんだと思う

最近は
少し感覚が変わり
この自分の
言ってはいけない
見せてはいけない
知られてはいけない
たくさんの事は

言わないし
見せないし
知らせないけど

相手が知りたがったら
教えるだろうな

それを知って
その人が
わたしから離れても
最初は悲しいけど
受け入れられると
思えるようになったから

「闇」は誰にでもあって
決してなくならない

なぜなら
本人が「悪い」と思い込んでる
幻想だから