死ぬことへのプロセス

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どう死ぬかを考えることは
どう生きるかを考えることだ


どのように生きるか
どのように在るか
それが
「死」に至るプロセスだ



「スピ」と呼ばれる世界に
浸っていた時期がある

いわゆる
「自分探し」というやつだ


そのときの自分の価値観は
がんじがらめだった

執着はいけない
特に物質への執着は
もってのほか
コントロールはいけない

生い立ちが恵まれていること
経済的に裕福なのは
何だかかっこ悪い



これだけを書いても
かなり滑稽だ


何よりもおかしかったのは

「謙虚でなくてはいけない」
と思っていたこと

「謙虚であること」
がおかしかったのではなくて

私が信じていた
謙虚の定義が
とても歪んでいたのだ

・目立ってはいけない
・NOを言ってはいけない
・自分の希望を自分から言わない
・相手に反対意見を述べない


一部だけでも
今書き出してみると

自分の希望は伝えない上に
都合よく

相手の言いなりになることを
自分で定義づけてたにも

かかわらず

思い通りにならず
周りに不満たらたらで
呆れて笑える


どれだけ自分が
ここにいることを
分かって欲しかったのか
ただの甘ったれの
構ってちゃん満載だ


ようやく
自分の本質が
かつて定義していた
「謙虚」の
正反対であるのだと
分かったように思う


これからは
自分の欲望に従って
まっすぐに
生きていきたいと思う


欲望と呼ばれるもの
煩悩とか野心とか
言い換えることができる



私はそれを
向上心と呼びたい