「やめる」という選択肢
正月2日目は恒例で実家で家族と過ごした
駅まで送ってもらった弟に
久しぶりにミスタードーナツでお茶をして
少し話をした
しばらく会わないうちに
お互いが合わなかった月日が長かったことを
実感するとともに
変わっていない部分は変わらないと
自分の感覚を再度信頼する
ああこの人はこういう人だったと
家族は関係性を辞める事はできるが
血のつながりは変えることはできない
だから自分の感覚は正しかったと
確認することが出来るのかもしれない
その人の「本性」は
多分一生変わらない
その人の性質というものだ
行動パターンにも出る
自分の状態が安定していれば
特に気にならない
だけど自分が
ほんとうにぎりぎりの状態の時
その「本性」があるがゆえに
その人を許せないときがある
それを分かっていても
それでもなお
その人と繋がり続けるのか
自分の中で持っている
人との距離には段階がある
いわば家のように
門には入れる人
庭のテラスまでの人
玄関までの人
リビングまでの人
寝室まで入れる人
玄関までの人とのお付き合いを
やめるのは
ある意味たやすい
自分の本性もあまり出していないからだ
寝室まで入れてしまった後
無防備な自分をさらしてしまったあとに
それを後悔したくないと
思ってしまう
だけど
それを許さなければ
本当にその人と関わり合ったことに
ならない
人と関わるとは
そういうことではないのかと思う
本当はいつだって
「やめる」ことはできる
どの段階でだって
やめてもいい
「やめる」ということ
それを選択するだけなのだ
だから
やめるまでは関わる覚悟と
やめると決めたらやめる選択をするという
覚悟があれば、それでいい