美しい人

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美しい
という形容詞が好きだ

どんな言葉よりも
何かを褒め称える最大級の言葉だと
信じている

だけど美しいよりも
もっとすごい称賛の言葉に出会ったことがあった


もう20年前くらいになる
ひょんなことから松山バレエ団の系列の教室で
先生の記念公演のようなものがあった

偶然知人から声をかけてもらって観に行った
生の森下洋子さんが出演されるという


主催の先生が長年にわたり
教室を継続して若手を育ててきたことに
敬意を表して
朗読のなかで森下洋子さんと男性が本当に短時間
出演された

森下洋子さんは黒鳥(ブラックスワン)と思われる衣装だった
今から思えば、黒は礼服の意味があったのかもしれない

本当に踊る、というほどでもない短時間

ものすごく軽やかに
だけど正確に
(正確、という言葉しか見当たらない)
踊ったというよりは音を立てずに歩いたような
感じだった
(実際はちゃんと踊りだった)

クラッシックバレエのチュチュとティアラ
タイツにトウシューズ

バレエの舞台だから
バレエの衣装だった


だけど私の目には

黒の着物をきりっと着こなし
いなせに歩く
粋なねえさんに見えたのだ

 

今でも忘れられない
なぜあんな風に見えたのか

うまく言えないが
森下洋子さんは完璧に
あの衣装を着こなしていた
身体の一部だった

全く文化が違う国の芸術のはずなのに
多分血肉まで自分のものになっていた
だから
着物姿に見えたのだと思う


その姿は
美しいなんてものではなかった

色気や優雅を通り越し

粋で
本当にかっこ良かった


その時に思った

「かっこいい」
は美しいの最上級なのだと


私の目は時々
目の前のものを

現実通りに
見せてくれない

すぐに幻想の世界に飛んでいく

だから
現実よりも
100倍楽しい人生なんだ

心地よい感覚

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たぶん私はずっと
自分の身体が
思うように動かないことが
納得いかなくて

自分という存在が
疎ましくて仕方なかったから

長い長い間
あがいてきたように思う

思うように動かないといって
身体のどこかに麻痺とか障害があるわけではなく
五体満足で不足はない
はず

最近分かったのが
私は自分の理想の姿があって

生身の自分を
その理想の姿という「鋳型」に
はめ込もうとしていて

もちろんそれは
本来の自分の姿ではないので

サイズの合わない服のように
ぴちぴちではみ出たり
丈が長すぎて
引きずったり

その服を「身につけている」だけで
それを維持するだけで
ものすごいストレスと
エネルギーを消費して

自分がしたいような行動が
取れずじまいで
毎日が過ぎ去るように
生きていた

何のために生きているのかすら
分からなくなっていたと思う


Kayaスタジオの事を知る1年ほど前も
別のボディワークを学ぼうとしていた

もちろんその前もずっと
整体であったり
バレエのレッスンであったり

自分の身体を「変えられる」可能性のあるものには
すぐに飛びついて
しばらく変化がないと
別のものに変える

そんなことを続けていた

そのころは
ずいぶん自分がうっすらとは
何がしたいのか分かってきていた

5日間のボディワークは
ファスティングも同時に行って
ずいぶんいろんな不要なものが
自分から抜け落ちたときだった

3日目くらいだったと思う
午前中時間があって
近くのスーパーまでほろほろと歩いていた
ずいぶん身体がゆるんで
自由な感覚を楽しみながら
少し坂になった道を下っていた

身体の感じが変わっていたので
それまで感じることができなかった
身体の動きを楽しんでいた

何となく
自分の今までの歩き方とは違っていて
胸を張ってしゃきしゃきと歩くのではなく
胸は張っているが肩の力が抜けて
腰が自由になり
今まで無理に膝を伸ばしていたのが
力を抜いて、ゆるゆると歩いていた

それまで意識することがなかった
自分の側面が自由になり
心地よく骨盤を揺らして歩いていると

とても心細い感じがしてきた

心細い、というより
心許ない感じという方が正しい
弱々しく、何かの力がかかったら
くずれてしまうような
もろい感じ

不安定なため
何かで身体の一部を固定して
しゃんとさせたい感覚が
起きてきた

その時の服装は
しめつけない下着と
Tシャツとジャージ
身体は自由

身体の一部を固定するというのは
締め付けるのではなく
ばらばらになりそうな細い棒を
ひもで縛って束ねると

安定して立てられる

といった感覚だった


固定なのか補強なのか

そうさせたい場所は

ちょうど肋骨の下の部分
ブラジャーの下、10センチくらいのゾーン
強めにサポートしたら
もっと身体がしゃきっとする気がした


その時気づいた

帯だ!


同時に今までの自分の歩いている
新しい感覚が
着物を着て帯を締めて
歩いているとしたら
しっくりくるのを感じたのだ


うまく表現できないが
自分が着ている服装とは無関係に
自分の身体は着物を着て歩くのが
とても自然だと感じたのだ

そして自分は今まで
大変自分の身体にとって
不自然なことを課してきたことに
気づいた

私の思い込んでいた動き
例えば

洋服をきてさっそうと歩くとか
バレエで優雅に歩くとか

自分以外の人がそうするのを
「視覚で確認」しただけで
思い込んでいたのだ

そんな風になるように
自分が見えたように
動くこと
在ること
をしようとしていた

これが
本来の私の身体にとって
当たり前ではなく

これに拘りつづけることで
身体にも
きっと意識にも
ものすごい負担を強いていたのだと思う

当時は
自分が着物を着ることが自然だということに
気づいただけだった

ようやく今は
ふと見かける人が素敵で
自分もああなろうという意識をすることが

素晴らしいものの取り入れ方が
「鵜呑み」な私にとって
本来の自分から遠ざける結果になって
自分をわからせなくしてしまっていたことに
気づけた感じがする


着物は成人式と2年前に着たきりで
1枚も持っていないし
着付けも出来ない

それが自然だといって
着こなせる訳ではないから
着物も少しずつ着る機会を
作ろうと思う

おすすめの呼吸

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今年は初めて
3が日の翌日が仕事初め

仕事場の湿度が低くて
肌が乾燥する

加湿器を
個人の机に導入するか
検討中


空気の乾燥は
ウイルスにとっては好環境なので
加湿は必要だと思う


加湿器がない、という理由からではないけど

最近息を吸うとき
乾燥するので
意識して
出来る限り鼻呼吸を
心がけるようにしている


口呼吸だと乾燥した空気が
肺にダイレクトに入るし
口腔内が乾いて
ばい菌が繁殖しやすくなるらしい

鼻呼吸だと
鼻という構造が機能してフィルターとなり
吸い込んだ乾いた空気に潤いを加えて
肺の中に乾燥した空気が
入らなくてすむし
口の中も乾かない


いま研修中のKayaメソッドも鼻呼吸

呼吸するときは口を閉じておくのが
良いみたいだ


写真は久しぶりの牛すじカレー

 

 

鬼滅の刃を観てきた

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年末に念願の
鬼滅の刃」を観てきた

 

とても詳しい人と行って
めちゃめちゃ解説してもらい
年末年始はアマゾンプライム
TVシリーズをぼちぼち観ている

すこしだけコミックスの23話を
Youtobeで予習しただけで
そもそもの前提が分からない状態で観た感想は


全て読んだわけではないから
劇場版についてに限るが

 

家族を殺されたことがきっかけで
鬼殺隊に入って鬼を退治していくわけだけど

 

戦闘もので刀が武器にもかかわらず
「破壊」や「支配・征服」がテーマじゃなくて
「鎮魂」みたいなものを感じた

 

劇場版はそれで完結しているけど
話自体は終わっていなくて
何となく物足りないので
少なくともTVシリーズは見ると思う

 

 

あと
物語に全く関係ないことだが
炭次郎も煉獄さんも
第一子長男

 

多くのアスリートは
たぶん第一子長男とか長女は少なくて
第一子以外か末っ子が多いと言われている

 

炭次郎も煉獄さんも強い剣士かもしれないけど
勝負としての戦いの頂点に行けるタイプではない

 

勝負に勝つという目的を達成するには
自分の思いが強すぎるし
相手の立場に立ちすぎる

 

たまたまそう描かれているだけかもしれないが
第一子長男て
勝負の世界に生きるのは向かないのかも知れない

 

 

最後に

 

手読みとしては
TVのオープニングでボロボロの手で禰豆子と
手をつなぐ炭次郎と

 

灰になる直前に
鬼の手を握ってあげる炭次郎

日輪刀を握るのと同じ手で

 

手をつなぐ
手を握る

 

その表現にぐっときた

自分の中の声を聞く

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コロナのために
4月からオンラインのトレーニンングが始まったことが
きっかけで

 

週一回
リアルタイムで参加するオンライントレーニングと

 

自分で何となく
認定試験のための一部のメニューを
自分の身体にしみこませるために
毎日するようになった
ストレッチ

 

呼吸の要素も取り入れて
続けるようになったら
自分の身体だけでなく
意識の「内側」を
認識できるような感覚が
つかめたような気がしている

 

内側というのは
自分の肉体そのものではなくて
自分の意識という感じだと思う

 

自分自身の感覚で
とても客観的に自分の感情を見るような
少し離れたところから俯瞰して
自分を眺める感じだ

 

なんとなく
ストレッチの時に掴んだその感覚は
何をしていても
思い出せるようになった

 

もともと
意識のベクトルが
自分自身にむきやすく
自分の中にこもりがちなので
一人でもくもくと
身体に向き合うことで
そんな状態になったのだと思う

 

感情的になっていても
客観的でいることができることが
多くなった気がする

 

変化が多い時期を迎えているので
この状態でいることで
周りに流されることなく
自分の軸にいることが出来る
一つの方法のように思う

 

#呼吸 #ストレッチ #Kayaメソッド #ダンス #トレーニング # 意識とつながる

 

 

ボイスチャネリング

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昨日年末ぎりぎりに

ウラゆきこさんのブログを読んで

とても興味があったので

遠藤美穂さんの「ボイスチャネリング」の

セッションを受けさせていただいた

 

事前に決められた言葉を録音したものを送付

セッション前に鑑定書を解説していただける

ちょっと占星術のセッションみたいなものと

思っていた

 

本当に驚いたのは

すごい的中率と精度で

事前にひとこともお伝えしていない私の情報を

1分程度の音声から感じ取っていただいたこと

 

加えて

初対面であるにもかかわらず

私の生立ちのとても胆になる部分を読み取って

鑑定していただいたのには

もうなんか鳥肌が立ってしまった

 

鑑定内容が的中したから良かったというだけでなく

自分の「声」という自分から発したものが

自分の好きなものや

自分のブロックや

自分の在り方も

ちゃんとそこから読み取れてしまう

 

私がバレエが好きなことも

人生ではじめてメンタルが沈んでしまった時期も

声から駄々洩れていた

 

そして

大嫌いと思っていた自分の声は

自分からすれば嫌味に聞こえるだろうと

使っていなかった声の出し方が

招いた結果であることも分かった

 

脚や身体は加齢によって

機能が失われるけれど

一生変わることなく使い続ける「声」は

自分のことを明確に表現するツールなんだと思った

 

知人でもないのに

これだけ深く

知ってくれている人がいるということは

ある意味安心感がある

 

鑑定の中で

話すときの私の呼吸は浅いんだそうだ

呼吸のトレーニングの時のことは

全く意識していなくて

普段、声については

本当に無意識なのだと痛感した

だからこそ、自分自身が駄々洩れる

 

もう取り繕ったところで

周りの人にはお見通しなんだなと

あらためて観念した

 

 

ありがとう理想の自分

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今日で2020年は終わり

明日から2021年

 

コロナに始まり、コロナに終わる

2020年だった

 

今年の年末は昨年とはまた違い

今まで大切にしてきた

自分の「理想」とか「目標」とか

そういうものを掲げて生きるのを

止めるための準備を

3日くらいかけてしているように思う

 

あまりにも変化する時代に

今まで持っている「自分の理想像」は

古すぎて

 

あまりにも執着すると固定観念でしばられて

本来自分が持っている感性や能力が

発揮できなくなるような気がする

 

根拠は全くないただ自分の感覚で

今までやってきた成功体験が

全く役に立たない気がするだけだ

 

今まで常に自分の外に向けて

他人の物差しで生きてきたやり方で

戦ったり

比べたり

批判したり

 

そんなやり方だと

もう気持ちが

休まることがないことが

分かってしまった

 

ずっと自分を他人の目線で監視して

他人からの評価を期待して

他人は一人じゃないから

どの他人にフォーカスしていいのか

訳が分からなくなって

どこにも自分が隠れる場所がなくて

疲弊していくのが

今までの私のパターン

 

どんな人からでも

高評価が得られる

「理想の自分」の姿は

「私のこだわり」という大義名分で

ずっと私の中にあり

ある意味「美学」だった

 

だけどその「こだわり」が

自分の中の声を聞こえなくして

本来の自分が感じていることを

分からなくしている気がする

 

 

「理想」という目標に向かって努力することが

素晴らしいと思ってきたけど

本来の自分と違う「理想」の姿に

自分をはめ込むことが

本当の意味の成長なのかと思うようになった

 

社会性というルールで

秩序が守られていることは確か

 

ただ

あまりにも時代が変化して

そのルールが機能・通用しなくなっているのを

この1年で感じた

古いルールに沿った「当たりまえ」は

少なくとも自分の中で

今まで持ってきた「理想」という形から

見なおす時が来たと思う

 

ありがとう

理想の私

もう他人目線の理想は

自分のものではないと分かったから

自分の意思と責任で進むことにする

 

2020年までの常識は

2021年以降の非常識かもしれない

あまりにも変化が激しい

外ばかり見ず

自分の内側をちゃんと見て生きる

 

今年もお節はLisasにした

なんと抽選に当たって白味噌もゲットできた

いい年始だと思う